2017年6月28日水曜日

バニラ・エア問題に思う事

本日の報道で、バニラエアー便の関西空港←→奄美空港で車椅子利用者が搭乗を拒否するような説明をされた問題について、ちょっと思う事があるので書いてみます。

基本的に、公共交通機関は身体障害を理由に利用を拒否してはいけないのです。
これは、私が自動車の大型二種免許を取得する際の教材やテストでそのように教えられました。車以外にも、鉄道や航空便も基本は同じだとのこと。
だから、今回のバニラエアーの航空機に乗り込む際に、タラップが下半身に障害がある方を昇降する事が出来ない機材であるから、搭乗できませんというのはルール違反です。
仮にタラップの階段が障害を有する方に対応がされていないのであれば、その階段を上り下りする代わりの方法を提供する義務が公共交通機関を運用する側にあります。だから今回はバニラエアー側が対応を間違ったという事で謝罪会見を行ったようです。

行きの関西空港から奄美空港への便で、奄美空港のタラップは友人たちが車いすごと担ぎ上げて降ろした。それがバニラエアーの社内規定では危険な行為として禁止されているから、帰りの奄美空港の搭乗の際に制止されて、車いす利用者が、車いすを降りて階段を1段ずつヅリ上がった。
じゃあ、どうしたら良かったんだとなるわけですが、一例として次のような方法があります。
車いすごとは不可能であるから、車いすの利用者に了解を得てこのように抱え上げます。
一人が上半身を、その他の人に足を抱えてもらって機内まで持ち上げます。
あくまでゆっくりとどのように動かすかを説明しながら行います。

今回はバニラエアー側が奄美空港の機材を変更して今後の対応をしたようです。

他の交通機関も他人事と考えているわけにはいきません、明日は我が身ですよ!

 ワンマン列車だから、ワンマンバスだから、車いすの利用者が居たら手が離せないから、又は1人では対応しきれないから自分で乗り込めなかったら利用をあきらめてくださいなんてことを言ってはいけないんです。 拒否する(選択する)権利は利用者側にある。
今回は車椅子利用者でしたが、お客さんは様々です。お年寄りだってあのタラップはかなり頑張らないと登れない人は多いですし、視覚や聴覚に障害を持っている方もいる。私も80歳位になれば足がおぼつかなくて、耳が遠く、視力も弱くなっちゃうかもしれない。 

社内でどのような運用規定やマニュアルを定めていようとも、公共交通機関の義務として旅客業務を行う際の事柄がその上位の規定で定義されているんですから。


私もこれらの事は心に留めておかなくてはいけないですね。
免許があるから旅客業務を行うことが出来ますが、免許があるのと実際に出来るのとでは意味が違う。経験を積んで技能を磨き続けなくては何の意味もない。免許取得=手に職ではない。
頑張ります!('◇')ゞ

 追伸:
今回、バニラエアーでは、車いす利用者は事前に申告をお願いいたしますと言っていましたが、それはそのアナウンスをした際に「快適にご利用いただくために」とカンムリ言葉を付け足したように、申告しなければ搭乗できないといった意味ではありません。あくまで、バニラエアー側が対応するための準備をしておきたいからのようです。航空会社の都合を考えての事でしょうね~(*^-^*)








6/29追記
この件に関しては反響が大きかったらしく、たくさんの報道がされていますね。
その中の一つに、バニラエアーの規定では、タラップの上り下りを車椅子を担ぐこと以外にも、「おんぶ」「抱っこ」も禁止していると記事中に記載されているものも見かけました。それが真実であれば、上のほうで書いた数人で抱えて機内へ移動する方法も不可能ということになります。また、現実問題として遊び疲れた子供をおんぶや抱っこして機内へ移動することさえも規定違反ということになり、制止されるということなんでしょうね。。。
多分、実際にタラップでは将棋倒しになり負傷した事故なども過去に発生していて、それがあっての規則と思われますが、果たしてそこまで厳密に規則にのっとった形で行わなければいけなかったのかなあと思ってしまいます。
今回の件は、安全上はそれでよかったとしても、別な問題が発生します。
身体障がい者の方にとって、タクシーや路線バスなどの旅客自動車は、移動手段、外出手段の一つとして重要な役割を担っています。その分、旅客自動車の運転者・乗務員の対応によっては、不愉快な思いをさせ、その人たちの社会参加への意欲に支障を及ぼしかねません。」(自動車二種免許学科教本の引用)
もし私がその時に車椅子を利用して搭乗しようとしていた本人であったなら、汚れた階段をはいつくばって上らなければ飛行機に乗れないとなったら、屈辱を受けたような感情になるだろうなあ。
奄美空港に着いた時の対応がどうだとか社内で連絡をしたのだったら、じゃあ、帰路の時はどうしようということも同時に相談して決めればよかったですね。少なくとも1日以上は期間的な猶予はあったんですから。 

6/29追記
この件に関してはこちらの方のブログが詳しく解説してあります。
いすみ鉄道 社長ブログ 
元その分野で働いていた方ですから、事情に詳しいのですね。ただ、そこまで書いてしまうと角が立つんじゃないかと思われるところまで書いているときもあり、ちょっとハラハラしてしまうこともある。(*´Д`) 
客商売の難しいところでもありますよね~。(*^-^*)  

2017年6月24日土曜日

久しぶりの筑波山系

長らく運転免許の合宿に行っていたので、自転車を乗っていませんでした。
久しぶりの乗車。
筑波山の稜線を自転車で走る。
最近気温が高くなってきているが、それでも30度までにはなっていない。風が吹けば涼しい。

しばらく峠道と稜線を彷徨って、笠間方面に降りる。
ここは稲田駅です。
東京駅などの古い建築物に利用されている石材の産出地。
水戸線の施設は、この建築用資材の搬出が目的とされていたのだとか。

駅周辺はお散歩が出来るようにコース設定されています。
昔あった石材搬出用トロッコ路線跡や旧日本一の石材露天掘り跡を巡るコース。
私が小学生の頃は、ものすごく大きな穴の傍まで行って見学が出来たんですけどね~。


ぐるりと筑波山を廻る。
田んぼの傍に、ガマの穂。昔は至る所にあったのですが、今ではあまり見かけなくなりましたね。

むむっ! 桑の実か!?
いや、桑の実はもっと赤黒い。似ているけどちょっと違うようだ。
でも、食べられそう。ちょっと食べてみるか!
甘くてうまい!!

これなんだろう?
という事で調べてみたら、コウゾという木の実でした。
(お前は赤ちゃんか!何でもすぐに口に入れるという突込みは受け付けません!)

結構山沿いの道端から、八郷のフルーツライン沿いまで、沢山なっていましたが誰も摘み取る人はいないようです。ありがたくツマミ食いさせていただきました!
夏は暑くて走るのがつらいですが、こういう楽しみがあるのですよ~。

やっぱり私は山で走り回るのが好きですね~







2017年6月22日木曜日

大型二種免許を取得しました!

ここしばらくブログの更新をしていませんでした。
それは、自動車教習所で教練をしていたからです。






諸々の事情を鑑みて、わたくしは会社員として定年まで働き、その後趣味などをしながら隠居生活をする事はできないであろうとの予測、可能性が高く、65歳以降も働いて収入を得ようとする生活を考えると、今のまま会社員を続けるよりも、何か手に職を付けないとならんなあと思うのです。
という事で、プロドライバーの免許を取得しました。
しかし、ただ取得するのはそれほど難しくはありませんが、その免許を使用して安全に仕事をするには、今のうちから経験を積んでおくことが不可欠です。日頃から経験や勘を養っておかなくては、実際に年をとってから免許があるからやりますといったところで役に立たない。やったとしても、すぐに事故を起こして大変なことになるであろう。

これは車の運転に限らず、自転車でも同じようなことが言える。
例えば、里山をMTBで走る時、慣れない人はちょっとしたアップダウンやカーブなどでもかなり怖いと思うし、実際に見ていても怪我しそうな危ない乗り方に見える。
特に1時間とかの長時間の乗車では、その間中集中力を維持し続けることは困難で、どうしても五官から得た情報を基に自然に反応できるくらいまで慣れていないと、あっと思う間にコケて怪我をしていることがある。初心者は体力も伴わないし、30分弱位でちょこちょこ休憩し、トイレ休憩などもはさむようにしている。

まあ、慣れた頃が危険なんだという事もありますが、慣れない機械を神経をすり減らしながら操るのは限界があるし、勘どころの無い人が慣れた人に交じってやるのはもっと危険。

余談ですが、毎年三陸でツールド東北という自転車のロングライドイベントが行われていますが、スキルの違う人が集団で走るせいか、なんでと思う位事故が起こっている。疲れてくると、集団で走る(周りに自転車や車が走っている)時にふと危険な行動を起こしてしまうのだと思う。

ということで、大型二種免許取得しました!
これでようやくプロフェッショナルドライバーの入り口に立つことが出来た!

 なんでわざわざ一番大変な職を選ぶんだとの意見もありますが、残念ながら今まで製造業方面のものづくりが好きでそういう職を続けてきましたが、頑張れば頑張るほど職人から遠くなる管理職に移っていってしまうし、なんだかな~っていう思いもある。

とにかく、もう決めてしまったし、頑張りますわ!



2017年6月4日日曜日

PENTAXカメラのレンズマウント

この間、東京品川のニコンミュージアムを見学に行って、いろいろとカメラの歴史を見てきました。
ニコンって基本的にFマウントは今販売しているデジカメでも使っているけど、時代とともに随分変わったなあ~なんて見ていましたら。待てよ、PENTAXだって随分変わったよなあ~。と、思ってネット上のWikipediaで調べてみたら、意外とおかしなことばかり。そうだったっけ??

けっこう引っかかるところが多かったので、意外とペンタックスに詳しいマニアのわたくしが、忘備録としてちょっと書いておこうかなあと思います。頑張って思い出しますが間違ってたらごめんなさいです。(;^ω^)
なお、ソースは?とか裏付資料は何?とかという部分に関しては、一切書きません。

1-スクリューマウント
  ・M37マウント(アサヒフレックス用)
    旭光学工業が 最初期の一眼レフカメラに使っていたねじ込み式のレンズマウント。
時々フランジバック寸法として45.46mmという記事があるがこれは間違い。多分カメラのレンズマウント面からフィルムが接するレールの部分を測定して推察した寸法と思われるが、設計上は結像するフィルムまでの距離とされているので45.5mmでいいんです。そのようにするためにフィルムが通るレールまでの寸法が短めにされている。特に古いライカみたいなカメラは、カメラのレンズマウントからシャッターを開いてフィルム圧板までの距離をフランジバック寸法と説明しているが、それも正しくはない。それら製造過程での製品調整値と混同されているから、45.46や45.5、45.7なんて複数の数値が書かれちゃうんでしょうね。。。

  ・M42マウント(プラクチカマウント)
    旭光学がペンタプリズムを搭載した一眼レフカメラを販売開始した際に採用したマウント。
旧東ドイツの有名カメラメーカーが自社カメラに使用していたのでプラクチカマウントっていう。単にねじ込みの直径寸法が変わったからアダプターを取り付けてM37のカメラ用レンズも使えた。
いくつかのバージョンがあって、最初期のはただレンズを取り付けるだけのマウントであったが、1回目のバージョンアップでレンズ側レバーで絞りを開いてピント合わせをしやすくし、シャッターボタンを押すとレンズマウント内側のピンを押して絞りを所定の位置まで絞り込むようになった。半自動絞りというやつ。
2回目はレンズマウント内側のピンを押している時だけ絞り込む。シャッターを押した後の露光中だけ絞り込み、露光が終わるとカメラのミラーと共に元の位置へ戻る。自動絞り。この頃のレンズは、自動絞りを解除するA(auto)/M(manual)切り替えレバーがあった。だから絞りを動かすピンが無いカメラでもレンズを使えた。
画像はペンタックスのM42マウントで一番売れたカメラ。PENTAX SPF?
 (M42マウントのSPFというカメラは、後年にマウントを変更したKMやK1000と設計が共通する部分が多い。だからこのカメラは現在でも手に入るLR44電池を使えるように改造してあります。( *´艸`))
PENTAXのX近くにある黒いレバーをスライドさせると、マウント下側のレンズピンを押す部品が動いてレンズの絞りを所定の位置まで絞り込んで測光する事が出来ます。絞りを撮影時に自動で開け閉め出来ても、測光は事前に別途行わなくてはいけなかったんですね~
3回目の変更は測光の自動化。(絞り開放測光) カメラのレンズマウントにレバーを2つ追加し、撮影者が使用する絞り値をレンズの絞りを開いている時に計算して表示できるようにしたので、撮影前にレンズを絞り込んで測光し、また絞りを戻す動作を省略できるようになった。
1つのレバーは、レンズの基準位置をみている。これでレンズがネジの回転方向に多少ずれて取り付けられても露出の計算にずれが生じないようにしています。そして、もう一つのレバーがレンズの絞りリングと連動し、絞りを開いた状態から何段絞りを閉じた状態で撮影をするのかをみている。
 フィルムのISO感度と絞り値から計算されたシャッター速度の指示に従ってシャッターダイヤルを回せば適正露光となる。そして、そのシャッターダイヤルのセット動作も自動化した絞り優先自動露出機能付きで発売したのがPENTAX ESです。


だいたいこんな感じかな~
M42のレンズはM37のカメラに取り付けられませんが、かなり互換性は高いです。

2-バヨネットマウント
   ・Kマウント
    ねじ込みタイプのM42マウントから変更して、一番最初のものです。
Kマウントは最初からM42マウントで実現した自動絞りや 絞り開放測光が可能となる規格でスタートした。カメラのレンズマウント内側に、レンズの絞りリングと連動するレバー(下の画像マウント内右斜め上)と絞りを開くためのレバー(下の画像左横)がある。
バヨネットマウントはロックピン(下の画像左チョイ下)で回転方向の位置が決まるためにM42マウントの時のような回転方向の位置ずれをみるためのレバーは必要ない。
マウントの口径がM42よりも大きくなり、且つフランジバック寸法は同じだから、今まで使用したM42マウントのレンズはKマウントにアダプターを介して取り付けて使用することが出来た。ただし、様々な自動化の機能は利用できない。

    ・Kf(ME-F用)マウント
      Kマウントにレンズの駆動用端子を追加したもの。
カメラ側で被写体までの距離を測距し計算する部分を搭載しているので、レンズへはピント合わせの情報を送っていて、対応するレンズを使うとオートフォーカスが可能となります。何でも一番が好きな旭光学、あのカメラ内にAFの装置を押し込んじゃったのはすごいですね~。PENTAXの初代ESもそうですが、あのごちゃごちゃした電気回路は涙無くして眺める事が出来ません。

    ・KAマウント
     Kマウントにプログラム自動露出を含むマルチAEを行うための電気接点が追加された。
最大と最小絞りの組み合わせ&レンズの絞りリングA位置判別ピン。当初ME-Fで使用したAF用の電気接点ピンもこの規格に盛り込まれていたようですが、カメラとしてはKAマウントを採用した最初のカメラからずっとME-Fカメラで使用した電気接点は採用されていない。見かけ上はその程度の差でしかないが、Kマウントの絞りを開くためのレバーを使用してレンズの絞りを適正な絞りになるように停止させるため、レバー周りがガラッと変わっている。
 ざっくりと言うと、レンズの絞りを開いた状態から、レンズの各絞りとレバーの移動量が等間隔で比例するようになっている。そのためにレンズ側でもレバーの移動量と各絞りが比例する動きになるように、専用のレンズに刷新されている。
 これはA3DATEというカメラです。電気接点ピンがマウントの下側左にならんでいる。ME-Fカメラの電気接点ピンは下側の右にならんでいた。それを考慮したからこの位置になったんですね~。

    ・KAFマウント
     KAマウントにAFを行うための機構が追加されたマウント規格。
ここに至るまでにME-Fカメラで利用していたレンズ駆動の為の電気接点ピンはKAマウントのレンズ規格から消滅していたのだが、KAFマウントの規格で完全に後戻りが出来ないようになった。ME-Fカメラのマウントにあった電気接点ピン部分にレンズ駆動用のシャフトが入ったからです。そして、KAマウントの規格から電気接点ピンが1本増え、これでKAF規格のレンズとそれ以外のレンズを識別している。KAでは電気接点ピンからON/OFFでコードの読み取りをしていたが、KAFではレンズ内の情報を読み取るデジタル通信を行う。

         ・KAF2マウント
      KAFマウントにパワーズームレンズ対応の電源ピンを追加した。
ズームレンズのズーム動作を電動で行うためのレンズ内モーターに電源を供給するピンがマウント内に増設された。この時にインテリジェントズームとか称して、電動ズームを利用した「ズームクリップ」:任意のズーム位置にボタン一つでズーム移動する。「イメージサイズ指定」:ズーム位置と被写体までの距離情報から、被写体までの距離が変わった時に自動的に被写体の大きさが同じような位置にズームする。「露光間ズーム」:露光中に自動でズーム動作をして画像の特殊効果を狙う。
これらはZシリーズというカメラの発売と共に採用されたが、電動ズーム以外の機能はカメラ側の設定表示などと対であったために、同じKAF2マウントのカメラであってもZシリーズの特定のカメラ以外は利用できなかった。
  全部の機能を利用可能     :Z-1,Z-1p,Z-20,Z-50
  露光間ズームのみ不可能   :Z-10
  イメージサイズ指定のみ不可能:Z-5,Z-5p
  パワーズーム以外不可能   :Z-70,

Zシリーズからはレンズの絞り位置をみているレバーの位置情報が以前のアナログ的なスライド抵抗からパターンコードによるデジタルに変わったから、絞りの光学読み取り機構が無いこともありレンズの絞りリングをA位置から外しても簡易的な情報をカメラ側に表示できるようにしていた。 (Z-1,Z-1p、Z-5、Z-5p) ただ、F1.7かF1.8かF1.9かは識別できないので近似値の表示となる。また、MZシリーズと共にリミテッドレンズシリーズが企画され、そのレンズも従来の等間隔の倍数系列表示から外れるために、KAF2マウント規格の中でも仕様が変更されてMZシリーズのカメラからは絞りリングがA位置でZシリーズのカメラ+リミテッドレンズでは正しく絞り値が表示されなかったものがきちんと表示されるようになった。
下の画像はMZ-10というカメラです。

また、この頃にMZ-Mという上の画像のカメラからAF駆動軸とマウント内の電源ピン2本が省略されたカメラが発売されている。MZ-Mは以前からずっと販売されていたP30の後継機種として企画されていたので、内蔵のストロボやAFが省略されていた。KAF2マウントカメラの機能限定バージョン。

そのほか、MZ-50,MZ-60は上の画像でレンズマウント内右上に見える絞環連動レバーが省略されているために、レンズの絞環にA表記が無いプログラム露出対応レンズ以外は使用できなかった。
(6/26追記:パワーズーム用電源接点ピンも省略されている。)

それ以降では、istからパワーズーム用の電源接点ピンと絞環連動レバーが省略されたKAF2マウントとなる。ただし、カメラ側の設定でレンズの絞環にA表記が無いプログラム自動露出に未対応のレンズでもシャッターリリースする事が出来たために、不便ではあるがとりあえずの撮影は可能。
(フィルムカメラではist、そのほかはデジタルカメラのistD、istDL、istDS、istDL2、istDS2、K100)


この頃になるとレンズ側も絞りリングが省略された製品が発売され、組み合わせによる機能の可能/不可能がちょっと複雑になった。

     ・KAF3マウント
      フィルムカメラからデジタルカメラに移行してから暫く経ち、K-100DSuperから再びパワーズーム用の電源ピンが復活した。ただし新たな利用目的のために。
 レンズマウントの見た目はKAF2のままではあるけれど、レンズ側はカメラのパワーズーム用電源接点ピンから電源の供給を受けて、レンズ駆動を行う機能が追加された。
KAF3マウントのレンズをKAF2マウントのフィルムカメラに取り付けてもレンズ側の駆動でAFは出来ない。KAF3レンズでもマウント部にAF駆動軸があるレンズについてはカメラ側でレンズ駆動をすることによりAFが出来る。

     ・KAF4マウント
      レンズの絞りが、カメラ側から機械的な制御をする方式に、レンズ内で電動で制御する方式が追加された。最新のデジカメに限りカメラのファームウェアが対応する。
KAF4で電磁絞りが採用されたレンズは、対応のカメラでしか絞りを動かせないために実際の利用は不可能です。

おまけ~
     ・リケノンPマウント
      リコーがプログラム自動露出を実現するために従来のKマウントと互換性を持ったまま信号ピンを追加したマウント。マウント上の電気接点ピンから解放絞り情報を取得する。
解放絞り値からいくつ絞りリングが絞り込むかを計算してファインダーに適正露出値を表示しているようだ。
実際の適正露出に関しては、絞り開放レバーをシャッターボタンを押した後に降ろしていきながら測光していき、事前の設定値で止めたレバーの位置が事前に計算で求められた絞り値であろう?というようなシーケンス。(自前で計測器具を持っていないから、ある程度の推察が入ってます。)(#^^#)

基本的にはプログラム対応のレンズには絞り開放レバーの移動量と絞り値の変化量が等間隔に比例するあたり、ペンタックスのそれに似ているので、レンズ情報ピンを両方に対応するようにしてどちらのメーカーのカメラでもレンズの共用が出来るようにしているレンズメーカーもある。
下の画像はシグマのMFレンズです。
確か、コシナあたりはさらにチノンの方式にも対応した3社共用のレンズマウントになってるやつがあったと思う。(チノンAFのやつね~)


こうやって見てくると、PENTAXも基本は同じマウントを使っていてもバリエーションが多いですよね。ニコンのほうが多いですけど~( *´艸`)

2017年6月2日金曜日

100周年記念のニコンミュージアムに行ってきました!

金曜日、行こうと思っていてもなかなかいく機会がなかったニコンのミュージアムに行ってきました!

品川駅から近いサラリーマンが沢山行き交っているオフィス街の一角にあります。
なかなか田舎者にとっては踏み込みづらい土地であります。。。( ;´Д`)





ニコン100周年という事で、特別展示を行っていました。






なるほど~、100周年記念もさることながら試作機を実際に見ることが出来るというのは面白い!
早速見ていきますよ! しかも写真撮影OKだし、雑誌の記事でしか見たことないものが実際に目の前で見ることが出来るってこの機会しかないですよね。


早速、NIKON Sの前身から。
ニコンってコンタックスのレンジファインダー機みたいなのを作っていたのですが、こちらはそれとは違うライカマウントバージョンです。レンズは作っていましたが、カメラも出そうとしていたんですね。( *´艸`)

こっちはSPにTTL露出計を付けてバヨネットマウントにしたものですって。
SPのマウントとは違うから、ライカのMマウントっぽいのを試していたんですね。あとから思えば、出さなくて良かったねというとこですね。

こちらはニコマットFTの試作機らしい。
ちょっと前にTTL露出計のPENTAX SPが一般に試作品公開されていたから、これもこのまま販売しなくて良かったねというところですね~。(#^^#)

こっちは絞り優先自動露出の試作機らしいです。
PENTAXがESというカメラで先行していて、ニコンとしても技術的に負けられないという事で研究していたんでしょうね。
ちなみにPENTAXの初代ESは、とりあえず製品になったものの、自動露出の為の電気回路はなんとかかんとかカメラ内に押し込んだという感じで、生産性は非常に悪かったようです。
あの頃の電気部品は、その後の基盤に使用される部品と違い体積の大きなものが多く、カメラ内部の隙間を見つけては押し込んでいくという感じのようですね~。(#^.^#)

こっちはニコンF301の前身になるカメラのようだ。
シルエットがコニカのカメラに似ていると感じるのは私だけではないと思う。
おぼろげな記憶をたどると、あの頃フィルムの自動巻き上げの先駆けがコニカのカメラであったと思う。これをそのまま製品化したら、モロにパクったと思われるんじゃないかな?

こっちがF301の製品直前バージョン。
Konica FT1Motorとは言わせないぞ~。(#^.^#)

こっちはニコンF4の試作品だ。
ごっついですね。もともとニコンはファインダー交換式で頭がでかいだけに。

そして、隣のガラスケース内にはF3の試作機が並んでいた。
TTL露出計のみならず、自動露出の搭載も当初から計画していたんですね。
シャッターの電気制御をやるなら、絞り優先自動露出も入れてしまえといったことなんでしょうね。

こっちはF3の製品間近の試作品。
説明によると、ニコンの人も不明な電気接点がマウントにあるという。

これですね!
これはどこかで見たことありますね~。


これですね~。
これはオリンパスのOMF、国内名ではOM30です。
OM30はAFレンズと組み合わせてAFカメラとなるのですが、この電気接点はAFレンズでピントが合った時にシャッターを切るための信号を送る役割のようです。
OM30はカメラ内にAF測距回路がありますが、実はレンズにも同様のAF測距回路が組み込まれていて、専用のレリーズケーブルをレンズに接続してカメラのシャッターボタン上に設置します。そしてそれを押すとAFが動き出して、さらに押し込むとシャッターが切れるという動作をする。
このマウント上の端子は、レリーズ信号という事になる。
ニコンF3試作機の場合は、カメラ側からレンズの測距をON・OFFするためのものになるのかな?

多分F3の場合も、AFレンズを組み合わせて使うための研究をしていたのだと思う。
最終的にF3はF3AFというほぼ全てF3から改造されたカメラを使う事でAFを実現しましたが、あれ自体もひとつの試作品に近いですよね。。。( *´艸`)

こちらはカメラ基板。
スライド抵抗が時代を感じさせますね。調整が全てアナログという。

こっちはF401の試作品みたい。
これはAFの評価用かな? AFカメラに切り替わってくると、シャッターボタンに直接レリーズケーブルを取り付けることが出来ない機種が増えてきたから、こんな感じで作っちゃうことありますよね。

その他、常設の展示コーナーにはNASA仕様モデルがありました。
実際にNASAで使用していたカメラは全部色を塗りつぶしていたから、これは予備機かレプリカかな???

こっちはスチルビデオカメラ。
使っているのは見たことないなあ。。。。

これはうっすらと記憶があるような、無いような。。。
このころのカメラはめちゃくちゃ高価だったんですよね。確か300~500万円!
一応値段はついていたけど、何処かの大手報道分野の企業でなければ導入できなかった。
この後辺りから、デジカメが普及しだしたんですよね。野茂英雄がメジャーリーグで活躍して、それをニュースの1面に入れるのに、アメリカの球場で撮影後にすぐモデムで日本に転送したらしい。

ようやくアマチュアカメラマンが買える値段になったのがこのD100辺りから。
APS-CサイズのCCD撮像素子で600万画素。それでも25万円位したし、バッテリーも1個1万5千円もしたから予備のバッテリーを買えなかった。。。

この頃、ニコンのフラグシップ機でも600万画素位で、カメラショーでは畳3畳分くらいの大伸ばしにして綺麗さをアピールしていました。今では携帯電話のiPhoneのカメラのほうがよっぽど綺麗ですから、この10年ちょっとでカメラの撮影機能がかなり浸食された感はありますね。

カメラの他にこういったテスターも展示されてました。
昔はフィルムを少しづつ撮影していたが、今では桁がいくつか違う位の撮影をいとも短時間に行ってしまう。だから、耐久力も昔は数万回だったが、今ではプロ用機で100万位やったりするようです。

探検家の植村直己さんのカメラも展示してありましたが、今だとこんな重くて大きな装置は必要ない。時代ですね~。昔の人は大変でしたね。

他にも昔使った懐かしき測定器(あれ?トプコンだったかな?)や測量機、顕微鏡やステッパー、その他医療機器なども展示してありました~。

一通り見学して、すぐ近くのキャノンの展示もついでに見た。
こっちはたいして面白くない。。。電気屋さんの展示とあまり変わらん。( ;´Д`)
早々に退散。

そして、遅いお昼を食べようと品川駅近辺をうろうろしたが、あまり興味をそそられるお店が見当たらない。田舎者だと、お昼のTV番組で紹介されているようなおしゃれなお店は苦手なのだ。(たぶん私だけか)


品川から山手線で上野に移動。


上野と言えば聚楽。
子供の頃から心に刻まれている記憶。上野の公園の方を見ると、洋風の建物に「聚楽」って文字が見える。
駅近くのお店はランチタイム終了らしい。
だけど、公園の方はやっているだろう~♪

えっ!?
建物の老朽化と共に閉店してしまったようだ。。。残念。
今は建て替えをしたところにいろいろな店舗が入っているが、そこのライオン堂で昼食することにする。

お~、懐かし系の赤いウィンナーが入っているナポリタン。
うまいっすわ~♪

ビルを登っていくと西郷さんの銅像に出る。
辺りは修学旅行の学生でいっぱいだ。
学生の皆さんには、今のこの風景が若かりし日の記憶になるんでしょうね。
何処から来たのか知りませんが、友達同士東京を楽しめよ~!!

上野や東京は私が子供の頃とずいぶん変わりましたが、今でもここは沢山の学生であふれています。彼らが何十年後かにこの地を訪れることがあったらどう思うのかな~なんて考えながら、帰宅しました~。