2013年1月20日日曜日

第一回ほしいも祭りと周辺観光

今日はひたちなか市で第一回となるほしいも祭りがありました。

実は1年前位に、ほしいもを作っている地域辺りを自転車で廻るホシイモライドやろうなんて話をしていたことから、 自転車つながりの方達とこのお祭りで合流する事になっています。

と、その前に、早起きして福島の楢葉町に白鳥の餌を撒きに出発。
いた~~!




持っていったのは、家の残り物のニワトリのえさと雑穀。
キビを撒いたら興味しんしんのカモたちが寄ってきた。
水面に蒔くと、カモ達の餌の獲り方が面白い。
浮力があるから、首を水中に突っ込むと、下半身が半分浮いている。このじたばた加減が面白い。

白鳥は、見た目のきれいさと裏腹に結構意地が悪い。近づくカモ達を突っつきまわし、餌に近寄らせない。そして、水面の餌をバキュームのようにがっついて捕食。



さあ、そろそろひたちなか市に引き返さねば集合時間に間に合わない。

やってきました。

会場となるファッションクルーズはおしゃれな建物です。
普段こういうところに来る客は、自分なりにおしゃれをキメた人たちなのだが、今日は雰囲気が違う。例えるなら、さっき餌を撒きに行った池のカモ達のような、どこか何かを欲しているような雰囲気の人たちだ。
10時の開門と同時に人が会場の方向に流れていく。
会場は既に人だかりが出来ている。
餌を撒く人、いや、試食のほしいもを配っている人発見! 遠慮していると、試食に手が届かないので、負けてはなりません。



一通り食べ比べてみると、思った以上に味の差が大きいのにびっくり。新しい発見でした。
そして、ホシイモなんて年寄りの食べ物だろうと思っている方は、是非足を運んでみてください。きっと考えを改める事でしょう。最近のホシイモは、昔のような硬くなるまで干さない生感覚で、それはもう別物です。イモを蒸して干しただけの食べ物ですが、侮りがたし。

来年は是非品評会の方にも参加したいと思います。



その後、阿字ヶ浦を抜け、お魚市場へ。
自分はあまり料理場に立たないので、かんたんに食べられるものばかりに目がいってしまう。
我が自宅からはそれほど遠くないし、買おうと思えばいつでも買いに来れるだろうとの思いがあるから、普段はあまり気にして見ていなかったが、一緒に観光して廻った方達の話を聞くと見直すことが多い。そうなのか~と。
地元ではないけど、身の回りを見直す良いきっかけでありました。
↑ぴょこっと出ているのは、イイダコです。タコ丸ごと入りのたこ焼き。


2013年1月14日月曜日

被災地の白鳥

今回は福島に行ってきました。
今までは、被災地の方々を冷やかすような事をしていると思われそうで、逆に近づかずにいたのです。火事場見物のように、珍しいもの見たさでうろちょろしていると思われるから。実際にそのような部分もあるわけだし。
ただ、震災後に何度か訪れている南三陸町で、何度も是非来て現実を見てほしいと言われた。
私は、自分自身が津波の被害にあっていないし、親族にもそのような人もいない。だから全く自分の事として気持ちを理解は出来ていないが、被害に逢われた方がおっしゃるように、現実を見る事で少しは何かを感じる事が重要なのかもしれない。
そういう思いもあり、そっと原発周辺を訪れました。

関東や東北地方は大雪の予報がされているというのに、次第に雨脚が強まり始めた早朝に出発。
一般道をひたすら北上し、お昼前に福島県いわき市に到着。
国道脇の道の駅四ツ倉で昼食を買いこむ。

海鮮ど~~ん!

アナゴかば焼きど~~ん!





エビふりゃ~~を挟んだ道の駅限定「よつくら幸福ドック」!
これだけのボリュームのあるものを全て食ってしまいました!

お祭りの出店で買う焼きそばが美味しいように、何故か港近くで手作りお惣菜を買うと海産物が美味しく感じるんですよね。何か周囲の雰囲気という魔力があるのかもしれない。

 そして、昼飯後に国道6号線を行ける所まで北上。
富岡町に入る手前で通行止め。もうこれ以上いくと、福島第二原発は目と鼻の先だ。
もう行けないので引き返します。

ふと、帰り際に閉鎖されたコンビニを見ていると、白鳥飛来地の看板を発見。
今でも白鳥はきているのだろうか?


楢葉白鳥の館脇に車を停め、すぐ横の池を目指す。

当然のことながら、白鳥観察の為のこの建物はカギが閉まっていた。
足元付近には人懐っこい鴨がこちらの様子をうかがっている。
ををっ! 冬鳥たちがいました!

まだ灰色をした白鳥の子供たちも人懐っこくこちらを興味深く見ています。
遠くを見ると、人の気配を察知し、鳥達がこちらに向かってきます!
震災があってから2度目の冬。

鳥たちにとっても2度目の越冬になるわけだが、はたしてこの地で越冬しきれるのだろうか?
周辺の田んぼは、以前のように米を作ってはいないだろうし、何より除染作業という事で表土を削り取っている。故に近くで落ち穂を拾う事は出来ない。
どれだけ餌となるものがあるのであろうか?
私が様子を見に池の縁に立つと、人懐っこく寄ってきたが、餌を与えてくれる人が以前のようにいるのであろうか?
越冬にやってきたこの灰色をした雛たちは、春に、元気に北へ向かって飛び立てるのであろうか?


日本各所に白鳥が自分達の住む土地に来ると、喜び、大切にしている。
ここ楢葉町もそうだろうと思う。
しかし、原発事故後の今、ずっと大切に、楽しみにしてきていた白鳥が取り残されているようで心が痛い。この土地を自分達が安心して越冬できる土地として、信頼してはるばる遠くから飛んできたのに。
鳥たちは何があったのか理解できないであろう。

2013年1月12日土曜日

八重の桜に触発され

福島かと思いきや、実は茨城県のひたちなか市に行ってきました。
NHKの大河ドラマ「八重の桜」が、東日本大震災を受け、東北復興の想いから決まった経緯に思いをはせ、私が住む茨城県として考えた場合に、このひたちなか市が古代から現代まで、またさまざまな日本が抱える問題の縮図の地であると私は考えているからです。

先ず行ったのは平磯海岸。
夏であれば海水浴客でにぎわう土地です。
私が子供だった頃は、茨城の海にはそこかしこに海の家が立ち並び、朝晩は海が無い県からの海水浴客が周辺の道路で渋滞を作ったものでした。しかし、今は大規模商業施設や海外旅行など、いろいろな楽しみが増えて、家族や地域の子供会などで海に繰り出す行事は少なくなり、まず渋滞は起こらない。
特に震災後の夏はひどかったらしい。
 平磯海岸周辺の波打ち際には白亜紀の地層が残っているらしく、ジオパークの看板が立てられている。地図で見てわかるのは、茨城県の南側は古代海底であったこと。長い年月をかけ、隆起して出来た土地なのだ。そして、現在の表面土壌は黒色の火山灰から出来ている。
 地図で黄色に描かれている部分。これだけの土地が過去に隆起するような出来事が起こり、更には火山の噴火も私が現在暮らす土地を形作っているという事実を考え併せると、さまざまな天災が過去に起こり、これからもいつ何時にか起こるのだろうなあと思う。自分が生きている間に起こるのかは神のみぞ知るところであろうか?
 次に行ったのは、ひたちなか海浜鉄道の那珂湊駅。
ローカル線の雰囲気が漂う駅舎です。
最近話題の猫の駅長 おさむちゃんは見かけませんでした。パトロールに行ってしまったのかな?

ここでは古い車両の展示を行っています。なんでも日曜日には、申し込みをすると展示車両内を見る事が出来るらしい。ローカル線で、古い車両を保存鉄道という感じで活用し、お好きな方々には好評のようですね。
生活の足としての交通機関というより、レジャー的な試みをいろいろと行っているようです。

この那珂湊駅周辺には、昔ながらの港町の雰囲気が残っています。
へぇ~! 茨城県で有名なお菓子のあさ川ってこんな昔からある老舗だったんだぁ~。
あっ。
反射炉観るの忘れた。
水戸藩の当時の藩主の命により、黒船来襲に備えて大砲を作る為の溶鉱炉がこの反射炉という事です。蒙古襲来の時と同じような考え方であったのかもしれませんね。
水戸藩内の内乱で、幕末に破壊されて、現在建っているのは復元された模型です。
水戸藩も会津藩のように葵の御紋を許される名門であったのですが、残念ながら内乱によって優秀な人材を失ってしまった為に、新しい時代にはあまり関わる事が無く歴史の表舞台から消えていったのであります。

旧市街は、人の足が少なくなり、今では港にある魚市場や旧水戸射爆場跡地に建設されてた大規模商業施設に人だかりが移っている。
特に射爆場は、米軍の演習施設から解かれた後に、茨城県が那珂湊と北関東自動車道などのインフラを整えながらかなり力を入れているところだけあって、ものすごく近代的な所だ。

そして、その場所を挟むように、南北には原子力の施設などが何か所もある。先の地震で被害を受けた福島原子力発電所事故以前に、こちらでも施設内で放射性物質漏れの事故を起こして、住民が避難する事態になった事もあった。東海村JOC臨界事故のあの時も、まさかそんな事をしているなんてと散々世論に非難されたのだった。福島原子力発電所の事故も、いろいろとおかしな部分が見つかり、人災ではないのかという議論もあるんだったなぁ・・・

復興
もちろん生活は楽になりたい。
震災の影響をあまり受けていない私も。
温故知新。古きを知り、今、そして未来に生かさねば!
  
さあ、私が住む茨城県は今後どのような方向に向かうのだろうか?