2012年6月29日金曜日

ブルーベリー生りました

流行り物には飛びつくタイプ故に、ブルーベリーを数年前に買ってきて植えてあります。
そのブルーベリーが今年も実りました。
何種類か植えたうちの、一番実の大きい品種の木が一番実をつけています。
つまみ食い~~♪
ブルーベリージュースは紫色をしていますが、それは多分皮の部分の色ですね。
ブドウと同じように実の中には紫色の部分がありません。
あまり甘くないさくらんぼのような味がします。でも、これはこれで美味しい。




2012年6月25日月曜日

橘郷造神社

この神社は、弟橘姫命と木花開夜姫命を祀る神社です。
日本武尊の東国征伐の物語では、相模の国から上総の国へ船で渡る途中、海が荒れ狂い、海の神様の怒りを鎮めるため夫の代わりに身を投げたらしい。状況からすると東京湾のはずなのですが、何故か霞ケ浦のこの地に神社があるのです。昔の人は東京湾と霞ケ浦を間違えたのか?

 身を投げた弟橘姫命の笄(こうがい)が霞ケ浦のこの近辺に流れ着き、それが何故か羽を生やしこの地に飛んできたそうな。行方市羽生が流れ着いた土地の名として残っていて、飛んで来て着地したこの地が笄崎と言うそうです。
そしてこの神社の名前、橘郷と言うのは、小美玉市与沢地区、倉数地区、行方市捻木地区、羽生地区辺り一帯をさす。昔は海岸沿いの家々にあるスダチの木のような橘という柑橘類の木がたくさん生えていたことからそのように呼ばれていたという事もあるらしい。
それはこの万葉時代の句にも読まれている。




何処かの人が、文明は水辺に栄えると言っていた。
正にそうなのだろう。昔からこの地は後世に残るような文化や経済があったと思われる。

私もこの地の末裔です。


2012年6月24日日曜日

手継神社

我が家の近隣の話題をひとつ。

この手継神社は、茨城空港のすぐ近くにあります。
民話の「河童の恩返し」にでてくる河童を祭った神社です。
この神社は手の病気の願掛けを行うと、効果があるらしい。
願掛けをして効果があった人は、お礼にこのような手形を奉納するようだ。

ところで、ここに祭られている河童の民話を知らない方も多いと思いますので、簡単に紹介します。

昔々、行方市現原の殿様が領地の見廻りを終えて屋敷に戻る途中、梶無川の橋を渡っていると乗っている馬が突然動かなくなりました。 振り返ると、子供くらいの怪物が馬の尻尾をつかんで川に引っ張りこもうとしていました。殿様は「村人を困らせている河童だな、懲らしめてやる。」と、刀で切りつけました。河童は悲鳴を上げて川の中に姿を消してしまいました。
御屋敷に戻ると、馬の尻尾には河童の手がぶら下がったままでした。
その晩のこと、河童がやってきて「私は梶無川の河童です。腕が無いと泳げないし魚も獲れません。どうぞ腕を返してください。もう絶対に悪さはしません。」と懇願するのです。かわいそうに思った殿様は、河童の手を返してやりました。そうすると河童は、「私どもには秘薬があり、腕を返していただければ元通りくっつけることが出来るのです。」と言って薬を傷口に塗り、ひょいと腕をくっつけました。殿様が驚いて見ていると、「お礼にこの薬の作り方を教えます。それとこれから毎日魚を御屋敷にお届けします。ありがとうございました。ありがとうございました。」と河童は薬の作り方を殿様に教えて帰っていきました。
次の日から毎日、御屋敷の梅の木の枝に魚が二匹ぶら下げてあるようになりました。
しばらく経ったある日のこと、いつもの木の枝に魚がかかっていませんでした。殿様は河童の身に何かあったのだと思い、心配で川を探させました。すると、川の上流の与沢と言うところで腕に傷跡のある年老いた河童が死んでいるのが見つかりました。死ぬまで恩を忘れなかった河童に心打たれた殿様は、河童の見つかった与沢に祠を建てて手厚くその霊を祀りました。

河童を祀った神社って結構珍しいのではないかと思う。
そして、民話の物語の中で登場している殿様が、新撰組で有名な芹沢鴨のご先祖様です。



詳しい地図はこちらの行方市商工会HPから
新撰組マップ
NHKのドラマで一時期有名になり、歴女と呼ばれる歴史好きな女の子も結構来ていましたが、今では訪れる人はまばらです。
生家跡からちょっと歩いたところには、殿様が河童に襲われた橋の名残り、手奪橋があります。

 それとこの川、梶無川にも民話があるのです。
この川の由来は、昔日本武尊が川を渡る際に、梶を取られ折れてしまったことから、梶無川と言うようになったとのこと。でも、日本書紀にはこの逸話は書かれていないから、この話を知るのは地元の人ばかりですけどね。
かつて、大和朝廷の権力の及ぶ範囲には、このような伝説が残るところが多いらしい。歴史研究家によれば、権力の及ぶ範囲には自分達で名前を付け、権力を誇示するためにそのような話が多いのだとか。

他にも日本武尊の伝説が残っている史跡がありますので、次の機会にでも紹介しますね。
では、お楽しみに~


2012年6月23日土曜日

NIKON F4

ニコンのプロ用カメラ。
とにかくプロのあらゆる要求を満たす為に、多機能であり、その一つ一つが高性能です。
このF4というカメラの特長が、徹底的なアナログ感覚のダイアル&レバー。
まるで飛行機のコックピットにある計器や操作部を見ているようだ。
当時のカタログではアナログの方が操作性に優れるというような説明をされているが、それ故の機能的な制約や見た目の煩雑さが欠点としてあり、その後のF5では更なる多機能化と共にこの操作方法ではなくなる。 特にシャッタースピードなんかは、あと半分スピードを速くしたいとかありますよね。
でもすごいなあ! こんなにメカニカルな作動部を沢山搭載して、なおかつ電子制御の為のフレキシブルパターンや配線がカメラ内を所狭しと納められているカメラは、このF4以上のものはないと思う。
真ん中のフォトミックファインダーというものを外すと、ピント板が見えます。
このカメラは、ファインダー部分交換可能のカメラなので、この部分がなくても一部の機能を除き問題なく使用可能。測光もAFセンサー部にあるスポット測光センサーで計り、自動露出も出来ます。
デジタルカメラになって、ライブビュー表示やバリアングルファインダーが搭載されるようになり、この昔のようなファインダー交換は、する意味がなくなってきましたよね。

フィルムが通るところを見ると、いかにも頑丈そう。
それもそのはず、その後の主流となるアルミプレス一体成形のプラスチックモールド部品ではなく、アルミ合金ダイカストで出来ているんです。この後ボディーだけでなく、前ボディー(カメラマウント支持部材)やファインダーベース(ミラーボックス)、グリップ部とカメラの骨格全てで!
そして、カメラに詳しい人は気づくかもしれませんが、シャッターの羽根が途中で止まっています。
これは、フィルムへの感光を最大限防ぐ為に二重にシャッター羽根で覆っているからです。通常一眼レフカメラにはシャッターの前にミラーがあり、シャッターに直接光が届く事は無いのですが、このミラーを常時たたんで撮影する事も出来るカメラだから、このような特殊な事を行っています。まさにプロ用カメラですね。

一方、今度はカメラマウントの方を見てみると、今のニコンカメラにはないレバーやピンがついています。これは、過去に販売したレンズでも、そのほとんどの機能が活用できるように、レンズの情報を受け取る連携装置です。
 今は、フィルムからデジタルに移行し、プロの仕事として撮影をする為には、骨董品のレンズでしかも当時の撮影機能を使わなければならない場面は無視してよいほど無いのだろう。もう完全に割り切っています。昔のレンズはカメラにつけられるという事以外そのほとんどが省略されていますよね。

今の時代、このカメラを中古で買おうと思うと、約3~4万円程度です。
新品の定価が22万6千円のカメラがです。
使わないものに出費するのは高いと思うかもしれませんが、当時の日本を代表する工業製品のすごさを手に取ってみるのも良いモンです。もし、ジャンクカメラが安く手に入ったのなら、ぜひばらしてみるだけでも価値があります。





2012年6月21日木曜日

コーヒーの芽が出ました

6月になり、一日の最低気温が高くなってきたためにようやく発芽しました。
外気温はまだ低い時があります。しかし、部屋の中は約20度以上となり、発芽の条件がそろったようです。
初めにコーヒー豆が緑色に変色してきて、そこから2週間かかり画像のような根と茎が伸びてきました。日中の温度は約30度程度になるのですけど、成長の速度はすごく遅いです。
冬になるまでに十分葉と根がつかないと、うまく春を迎えられないのではないかと心配です。

一番伸びているコーヒーは、豆の端にカビのようなものがついています。
腐ってしまうのだろうか?
頑張っておおきくなあれ!!

2012年6月18日月曜日

記録用のカメラについて

最近ずっとカメラの記事を書いています。
畑仕事をやっていないわけではありませんが、収穫時期は何日も同じことの繰り返しだし、仕事の方に集中していて、ブログの事を忘れがちになる。
逆に雨で暇な時には、さ~~て何か書くことはないかなあとなる。
今回は私の普段使いカメラの事を少し書きます。

記録をとっていないわけではない。
一応いつも複数のカメラを持参している。
記録用としては、携帯電話のiPhone4Sやスマートフォン。そして接写能力に優れるコンパクトカメラ。
今時の携帯電話のカメラ機能はすごい。必要十分な写りをする。これではコンパクトデジカメは売れないよなあと思うほどです。
だけど、コンパクトデジカメにはそれなりの良さもある。それが防水性能と接写性能です。
私が使用しているのは、PENTAXのOptio W90です。
携帯電話はためらうような、汚れた作業用手袋で直接掴んで撮影できるし、LEDライト付きでレンズ面からわずか1cmまで近づいて撮影もできる。憎たらしい害虫などを撮影し、後でネット検索したりとかなり便利に活用しています。このカメラは型遅れになり、今はOptio WG-2という後継機になりました。主に画質が格段に良くなったらしいです!

その他、昔っからカメラが好きで、つい数か月前にPENTAXのK-01を買っちゃいました。
世間的にはかなり不評らしい。
その原因は、ミラーレスデジタル一眼のくせにでかいことがあるらしい。
確かにでかい。SONYのNEXと比較するとびっくりする位に。
しかし、それを逆手に取ったような利用の仕方をしている機能にむしろ注目してしまうんですよね。
1-従来のPENTAX製、その他互換レンズの利用が可能。
 リサイクルショップで漁ってきたヘンテコオールドレンズでも撮影が出来ちゃうんですよ。
これは今、PENTAX A35-70mm F4.0という2000円のズームレンズで撮影してみました。
マクロレンズ並みに拡大できるレンズでした。

2-従来のPENTAX製、その他互換レンズで手ぶれ補正機能が利用可能
 上の画像はへたくそですが、酔っ払って適当に撮ってもブレは目立たないでしょう?
 構図がとかピントがとかは勘弁してくださいね・・・・・
 
あとは、AFが遅いという欠点もありますけど、私的にはゴルゴ13みたいに素早く撮る必要はないので、そこはあまり気にしていません。

ソフト(縮小専用。)で画像圧縮&鮮鋭化した画像ではありますが、K-01のスナップを少し。
沢山撮影すると気が付く点として、画像は携帯電話でも同じように撮影することが出来ますが、さすが大型撮像素子採用の一眼カメラと言うべき懐の深さ。細かいところまでよく見えちゃいますね。
機会がありましたら是非使ってみて下さい。そうすればわかります(^_-)-☆


南三陸町歌津訪問。

加賀温泉郷山中温泉
 南三陸町たつがねMTB大会





2012年6月16日土曜日

CANON T90

キャノン続きでT90。
キャノンの高性能一眼レフカメラ。
一応プロ用と変わらない位の高性能でありながら、キャノンはプロ用とは言っていない。
多分ファインダー視野率や外部大形ストロボ用のシンクロ接点、防塵防滴などの環境耐久性能が同社のF-1 ほどなかった為ではないかと思う。でも、結構プロの人が使っていて、外部ストロボ用のシンクロ接点なんかはプロサービスで行っていたようだ。一般にも受付はしていたようだが、キャノンは告知をしていなかったから、知っている人のみ持ち込んでやってもらうという感じであったと記憶している。

発売は1986年2月。
1985年、α7000発売と同時期に、キャノンはT80というオートフォーカス機を新発売したわけですが、ミノルタと比較されちゃうと引き立て役でしかなかった。ミノルタ以外のカメラはどこも似たようなもので、それ故アルファショックと呼ばれるようなミノルタのカメラ大流行が起こった。その後オリンパスやニコンもT80と同様の従来からのレンズマウントを元にしてAF化を行った。ただしどれももうレンズ内にピント合せのモーターを組み込む事はなくなった。
キャノンやペンタックスは1年後でもまだオートフォーカス対応のカメラを発表していない。
多分、社内ではものすごい議論を重ねていたのでしょうね。
そんな中発売されたこのT90は、後のオートフォーカスカメラEOSの先祖と言われている。

じゃあ、比べてみましょう!


似てる! フィルムを通す辺りの構造はうりふたつ。
カメラの電源配置も、カメラの底側と一緒です。

キャノンはFDマウントの自動露出化対応で、かなりの苦労があったから、最終的に新しいマウントへの移行を選択したのであろう。
上の画像を見ると、T90のカメラマウント内部はレバーが2本スライドするように動くようになっている。NewFDマウントのこの構造こそが、作る側にとってコストや精度の面で非常に大きな足かせになっている。更にAFの為の構造物を追加して、他社との競争の中でやっていけるのかと考えた時、正しい選択であった。何処かの記事で読んだ情報だが、もし当時、会社のトップの意見に負けてFDマウントを継続していたら、その後のキャノン一眼レフカメラはなかったであろうと思う。

他社に遅れたAF一眼レフカメラでしたが、FDマウントのカメラとしてやれる事をいろいろやったTシリーズの舞台裏で、繁栄と衰退紙一重の社内攻防があった様子を妄想してみると、面白いですね。

2012年6月14日木曜日

KISSの前夜

畑の話題がなかったりすると、趣味の一つ、カメラの記事を書いてみたりしてます。
キャノンの圧倒的な一眼レフカメラシェアの中で、販売数トップを誇るブランドが「KISS」です。
カメラの特長をひと言で言うと、機能てんこ盛りのカメラ初級者向け低価格カメラ。
キャノンは、カメラマウントを変更した第1世代のEOSから、第2世代に移り失ったシェアの奪還を計るように沢山のAF一眼レフカメラを投入してきた。プロ向けのEOS1から、ハイアマチュア向けのEOS10、EOS100、そして主に初級者向けのEOS1000。
このEOS1000が後にKISS系統となる。
ボディコン(死語)のおねいさんが持っているカメラがEOS1000です。
現在のカメラに比べると、ごついしおしゃれには見えない。

この当時、入門用のカメラはかなり機能が省略されていた。
それは、カメラ会社が初心者が扱う際に多機能のカメラだと操作が煩雑で扱い辛いだろうとの想定から、わざと搭載できる機能を削って作っていたのです。例えば、上級機には露出制御モードがプログラム自動露出、絞り優先自動露出、シャッター優先自動露出、マニュアル露出と多彩だが、初級機はプログラム自動露出とマニュアル露出のみとか。
ところが、キャノンは全て搭載してきたのです。しかも超低価格で。
お値段はたったの4万7千円です。
安い理由は見た目にも現れていますが、徹底した作りの簡略化です。
初代EOSはカメラボディーにアルミダイカストを使用していた部分が、プラスチックのモールド部品になり、金属削り出しのマウントが同じくプラスチック、滑り止めゴムがシボ打ち成形プラスチック部品に、などなど。
当然プロ用と違い安く作ったこのカメラのカメラとしての精度が同じはずがなく、同じ一眼レフでもカメラのランクに合わせて初級者向けはカメラの精度を緩和した。ただし、今までの時が証明しているようにほとんどの人にはその緩和は全く問題がないレベルです。

今ではレンズ交換式のカメラには沢山の機能がついているのが常識。
使いやすさ、扱いやすさは別にして。
フィルムと違いデジタル記録になっていろいろな調整要素が増えましたからね。
しかし、時代は変われど作る側のコストダウンの努力は変わらない。目立つ新機能と別な方向での目立たない技術もまた重要な要素だという事を感じました。

トマトにアクシデント発生!

トマトがピンチです。
実が重すぎて、実が着いている枝が折れました・・・・
折れないように実を間引かなくてはいけないかもしれません。
まさかこんな事になるとは思いませんでした。
ピッコラルージュ、もしかしてかなり沢山収穫できるトマトなのであろうか?

その他は今のところ順調であります。
マイクロトマトは同じように実が鈴生りになってきました。本当に鈴のようだ!





ニューメロンも電球より大きいサイズになりました。



スナップエンドウはどうしようかなあ?
収穫時期なのですけど、市場に持って行って売っても二束三文だし。知り合いに配る作戦しかないな。
このマメはサヤごと食べられるのが特長なのですけど、私は中の実だけを食べるのが好き。
畑でぶらぶらしながら、生のスナップエンドウをむしって食べています。
サヤは若干青臭いのですけど、実はあま~~い。スイートコーン位は甘さがありますよ。


2012年6月11日月曜日

MINOLTA α-9000

ミノルタのプロスペック搭載高級AF一眼レフカメラです。
当時128,000円もした高嶺の花でした。
先ずすごい点その1。
AFカメラである事です。
見た目はフィルム巻き上げレバーがあったり、レンズ+カメラで結構コンパクトに収まっているし、1980年代ではそれまでのマニュアルフォーカスカメラと変わらない。
しかし、シャッターボタンに触れるとレンズが動き出すのです。自動でピントを合わせてくれる事に感動です。今のカメラに比べると、とんでもなく遅いAFですが、四半世紀前のこの時点ではこれが普通。いや、ちょっと遅い方だったかな?
それもしょうがない、このカメラは単三型ニッカド蓄電池2本(2.4V)の電源でもスペック上作動保証をしていた。実質2V程度の電圧でAFを含め、カメラの電気回路全てを動かしていた。すごい省電力設計であったと思う。だからなのか、レンズ質量の大きなものはAFが止まりそうになる位だ。実際ミノルタが後年限定で販売したAF85mmF1.4 リミテッドレンズなんかは、上を向けるとAFが止まる。 レンズ性能はぴかいちでも、αシステム立ち上げ当初の社内コンペティションで最終的に蹴られたのは、このようなメカ的な要因が大きいのじゃないかなと思う。

すごい点その2。
測光の切り替えが可能。
平均測光とスポット測光を切り替え可能で、スポット測光はハイライトとシャドー基準測光も可能である。この当時、まだ多分割測光は過渡期で一般には普及していなかった。また、カメラで飯を食うものであれば多分割測光はカメラ任せで、そんなのはプロのやる事ではないとの意見もまだまだ幅をきかせていた時代でしたね。
それはピント合せにも言われていた事で、AFカメラでありながらもファインダーのスクリーン中央にスプリットイメージ又はマイクロプリズムと呼ばれるものもあった。これでピントが合っているのを確実に見る事が出来ないカメラは使えないと言うプロが多数いた為に、この当時のプロ用カメラには必ずオプション部品としてそのファインダースクリーンが販売されていた。ただ、やはりプリズムなので条件によってかげりが出て測光のデータに影響が現れた。キャノンやニコンはそれぞれプリズム有りのファインダースクリーンを使用する場合は、露出がずれる可能性を注意する但し書きがあった。一方このα9000は、キャノンやニコンと違って測光をファインダースクリーンを通さないミラーボックス下部のAFモジュール前部に設置していた。
それはつまり、ファインダースクリーンを変えても他社のように露出に影響はありませんと言う事だ。私はPENTAX LX用のナチュラルブライトマットスクリーン(新タイプ)に入れ替えをしています。もちろん、ピントがずれていない事は確認済。すごく見やすいです!

すごい点その3。
高剛性ボディー。
この当時の一眼レフカメラは基本的にアルミダイカスト部品で構成されている。
ミノルタで言えばこのα第1世代で、他社で言えばCANONはEOS600系、NIKON F501世代、PENTAX SF系辺り。それ以降になると、ミラーボックスを含むカメラボディーがプラスチックに置き換わっていく。
元々フィルムは不安定で、映像の結像面が寸法的にグニャグニャなのにカメラボディーだけ製造寸法を厳しく管理しても、許容範囲を広くしたプラスチック部品とあまり結果が変わらないと言う理屈は解るし、実際差が解る撮影条件で写真を撮る事は希である。
でもやはり、強度は高い方が安心感がある。

ミノルタはこの第1世代αが大ヒットした為、ピント合せのみならずカメラの自動化をひたすら行っていくが、肝心な事を忘れた為失速していく。(ミノルタだけじゃないけど)
カメラは人間の道具であり、道具は使う者の意志の通りにならなくてはいけない。
小さな親切余計なお世話で、余計な事をする道具は使いづらい。そして、自分の行いたい事をなかなか実行できない道具も然り。

私がこのカメラを眺めるたびに、道具とはどうあるべきかを考えてしまいます。




2012年6月10日日曜日

PENTAX SFX

前回に続いてカメラのカタログシリーズ。
これは私が初めて手に入れたAF一眼レフカメラです。しかも中古で。
どうしてキャノンやニコンのカメラでなかったかというと、単純に金銭的な余裕が無く、当時AFへカメラのシステムを完全に切り替えたキャノンやシステムはある程度そろっていても人気があり単価が高かったニコンは選びたくても選べませんでした。そのカメラ2強を除くと選択肢はミノルタ、ペンタックス、京セラ、オリンパスになった。
レンズメーカーのカメラへの対応を考慮した場合に、最終的にミノルタ、ペンタックスが購入候補に絞られた。 京セラやオリンパスは、当時レンズメーカーのAFレンズ発売が遅れ気味であった。それは、需要や売れ行きを考えた場合に、カメラ自体があまり売れていなくて対応したAFレンズを販売しても商売になりにくいと判断しているのだろう。キャノンはレンズ内に絞り制御のステッピングモーターとAF駆動用のモーターを内蔵させなくてはいけない関係上、他のカメラマウントに比べて発売が遅れていた。ペンタックスは、そのような手間は必要としていないけど、カメラボディーの販売量が他社より少ない為かキャノン位レンズメーカーのマウント対応が遅れていた。しかし、私の判断ではぎりぎりPENTAXまでと判断したのであった。
その後20年、ミノルタの失速は想像していませんでしたが、カメラがフィルムからデジタルに移ってもキャノンEF、ニコンF、ソニーA(ミノルタA)、ペンタックスKのマウント規格が残っているところを考えると、良い判断であったのかなあと思う。

私の通っていた高校はアルバイト禁止だったけど、アルバイトで稼いだお金を握りしめ、東京のカメラ屋さんに買いに出かけた。いくら東京であってもその時の所持金ではとても新品は買えない。
当時有名な中古カメラ取扱店、松坂屋カメラや三宝カメラを覗いて廻った。
そこで運良く4万円台で35-70mmレンズ付の新品同様PENTAX SFXが在ったのが決め手になった。α7000より僅かに安かったし程度が良かった。

出会いというものは本当に不思議だ。
この出会いが、カメラに強く興味を持つきっかけになったし、その後の人生にも影響を与えていると思う。この時、もしNIKONやCANONであったならばその後どうなっていたのだろうかと考える時が時々ある。

さて、このカメラの名前SFXの由来は、SuperFocusに由来すると言う事らしい。
PENTAXとしては初のTTL位相差検出方式を採用している。PENTAXではSAFOXと呼んでいるAFモジュールだ。SAFOXはSensor Ability Fortifying Optical Compensation Systemの略称との事であるが、日本語に直訳すると光学的補償で能力を強化しているセンサーシステムのような感じになるが、なんの事かさっぱり解らない。一応カタログの説明文から推察すると、コンデンサーレンズを2枚使用し、光学収差を良好に補正する事により、合焦位置から大きくずれた部分もセンサーでズレ量を判定できるのが他社より優れている。このことにより、レンズのピントリングを高速で動かしてもピントを拾えるようになったから、うちのAFは早いですよ!と言う事のようだ。
確かに当時SFXのAFは早かったと思う。キャノンのEOS650やα7000などと比較しても明らかに判る位に。

それに便利だったのはストロボがカメラに内蔵されているという事。
コンパクトカメラでは常識であったが、その当時まだまだ一眼レフカメラでは別売のアクセサリーであった。レンズによっては撮影された画像に影が映る場合があり、使い方には注意は必要でしたけど、先ず撮れる事は重要です。

そういえば、視度調整機構の内蔵も地味な点ですが評価高いです。
その時代では、視度調整機構を内蔵したカメラはまだまだ少なかった。

このカメラでは、本当に一生懸命写真を写した。
今のデジタルカメラと違って、フィルムを買って現像しなければ撮影した画像を見る事が出来ないから、撮影を重ねれば重ねるほどお金がかかった。だからこそ、一生懸命考えて一こま一こまを大事に撮影したし、その場で画像が見られない分写りを想像して撮影していた。
今、私の手元に在るのは当時のSFXではなく、後年買ったSFXnです。
若干のマイナーチェンジを受けた後続モデルです。
とりあえず使用できる状態であるが、今では使う事はない。
たまに手に取りいじるだけです。
 今から四半世紀前のカメラ。
自分も社会人として同じだけ時が経った。
カメラという道具は形を変え、飛躍的に便利になった。
便利になったけど、この時と同じように創意工夫をしてカメラの撮影を楽しもうと思います。
それは農作業も一緒ですね(*^_^*)




2012年6月9日土曜日

KONICA FT-1 MOTOR

今日は雨の一日。なので、お部屋で資料整理中。
そんな時にふと昔集めたカタログが沢山出てきた。
全然畑の話題とは関係ありませんが(^^;)

一応メーカーが販売促進の為無償配布しているカタログを私の利益とは無関係に利用する場合であっても、転載禁止とは書かれていませんが、著作権上の問題が出る可能性がありますので、内容は載せません。
今時の人はKONICAというブランドを知っているだろうか?
昔は沢山のメーカーが一眼レフカメラを作っていました。その中の一メーカーであります。富士フイルムと同じようにフィルムを生産していたので、そちらの方が有名かもしれない。

このカタログの商品 FT-1 Motorが販売されていた時期は、MINOLTAがピント合せを自動化したアルファシリーズを世に出し、世界を席巻していたアルファショックとかぶっていた。そのために、このカメラを含め、全てのメーカーがカメラのオートフォーカス化と露出機構のマルチモード(プログラム自動露出、シャッター速度優先自動露出、絞り優先自動露出、マニュアル露出)の対応を迫られていた。
マルチモードは1980年代初頭から各メーカーが進めてきていたが、ミノルタα7000のオートフォーカス、フィルム自動巻き上げと共にコンパクトなカメラに搭載してきたのは本当にショックと呼ぶにふさわしい出来であった。

この機種以降、廉価版一眼レフカメラは売っていたものの、それはOLYMPUSのOM2000の時と同じで後の時代に考えると、終焉を意味していた。そういえばNIKONもそうだなあ。フィルムカメラは同じようにOEM生産のカメラだ。

便利な機能や光る技術はあったのですが、時代のニーズにあった商品を作れないようになってきたが故、一眼レフ生産を止め、フィルムコンパクトカメラの生産を止め、最終的には事業自体を譲渡して幕を閉じてしまった。そういった意味では、過去のライバル富士フイルムがフィルムの乳剤技術を化粧品に利用したり、様々なOEMメーカーと共にFINEPIXブランドでデジカメを販売しているのと対照的な結果だ。

ニューメロン 僅か数日にして

あっいう間に大きくなりました。1ヶ月後には美味しくいただけちゃうでしょうか?
まだ実は数個しかついていませんが、これは楽しみ。

メロンって、かなり手間がかかる作物だけど、このニューメロンはキュウリのように手軽に作れそうです。種はホームセンターで210円と安く入手できるし、他の人にお勧めできますね。

一方、昨年手がつけられない位生い茂ったマイクロトマトは、露地の方に植えました。
この株は種を採る為にハウス内に植えてあるのですけど、実を食す為ではないから生い茂ってきたらばっさばっさと切ってしまいます。

2012年6月4日月曜日

ビニールハウス内の様子

ミニトマト、ピッコラルージュはすごい勢いで育っています。
実もこんなに生りました。
しかし、今年はひとつお利口さんになりました。
沢山花が咲いても、全て実が生らないように、半分以上は摘んでしまいます。欲張って沢山収穫しようとしないのが、美味しいトマトを作るコツ! 今までは判っていてもやっていなかった・・・

こちらはニューメロン。
プリンスメロンの親にあたるらしい。
こうして見ると、キュウリやシマ瓜などとほとんど変わらない。本当に甘くなるのであろうか?
実も見えてきました。
今のところウリハムシなど、毎年頭を悩ませる害虫もあまりいなくて、今年はどうしちゃったんだろうか? とりあえず、順調に成長するのでうれしい限り。 もしかして、今年は農薬の世話にならないで済むかも。